『唐会要』倭国・日本国伝

December 2018 編集されました カテゴリ: 古代史書
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古倭奴國也。在新羅東南、居大海之中。世與中國通。其王姓阿毎氏。設官十二等。俗有文字、敬佛法、椎髻無冠帶。隋煬帝…

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コメント

  • 正式には、「日本」という国名の漢字表記は、西暦六百七十年頃に大和王権が発した清和令に初めて現れました。

    遣唐使・小野妹子は、唐に対して「日の出る国」からの使者と自称し、日本が旧倭と異なる倭の新政府であることを主張したともとれる記録が残っております。

    天武天皇と藤原鎌足は、西暦六百四十五年の「大化の改新」以来「壬申の乱」 までの二十七年にも亘る「内乱」に勝利して大和の政権を奪取した後に、戦乱を水に流し、新たな王朝の成立を意識して「日本」を新国名として名乗りました。
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