柏、拍手(はくしゅ、かしわで)

魏志倭人伝

魏志倭人伝には、

邪馬台国などの倭人(日本人)の風習として「見大人所敬 但搏手以當脆拝」と記され、貴人に対し、跪いての拝礼に代えて手を打っていたとされており、当時人にも拍手を行ったとわかる。

かしわで、かしわ手

宮中の料理人である「膳夫(かしわで)」と関連があるとする説や、手を合わせた時の形を柏の葉に見立てたとする説もある。

礼手のように、日常は食前・食後に行う事から、膳夫に建膳・撤膳を求める合図とも、食前食後の感謝ともされる。

『続日本紀』では、慶雲年間(和銅の前。704年から708年まで)に「跪く礼法」を廃した事が記述されている。慶雲元年(704年)7月 :に大宝2年(702年)に派遣された粟田真人ら大宝の遣唐使が帰国。慶雲年間には、遣唐使の報告や実際に律令を施行した上での諸問題を是正する政治改革が行われた(慶雲の改革)。また、平城遷都も立案された。707年に元明天皇即位。

拍手と拝(神前での敬礼作法の一つ。 最も敬意を表わす作法で、腰を90度に折った姿勢をいう)の形式は、神社によっても異なります。 手の打ち方には、二拝二拍手一拝のときに打つ「短拍手(みじかて)」、八つ打ってさらにその終わりに短拍手を一つ打つ「八開手(やひらて)」、直会(なおらい)で盃を受けるときに一つ打つ「礼手(らいしゅ)」、神葬祭(しんそうさい)のときに音をたてずに打つ「忍手(しのびて)」などがあります。 拝には、座って行う「坐拝(ざはい)」、立ったまま行う「立拝(りっぱい)」、そして、座った位置と立った位置にて行う「起拝(きはい)」などがあります。 伊勢神宮では、起拝を四度繰り返す「八度拝(はちどはい)」・「八開手」と呼ばれる拝礼作法を、出雲大社では、「四拍手(しはくしゅ)」という拝礼作法を行っています。 古来からの伝統的拝礼作法。

太陽暦と短里

『数理科学』誌で「『周髀算経』に記載の「一寸千里の法」という測量についての記事から、周代では1里=76~77㍍という短い里単位が用いられていた、という谷本茂氏の論文がある。

太陽暦である。

夏至南中 時に表(測量用の棒)が作る日影長を測ることで、それを 緯度に代わる指標として南北位置を認識していた.

洛陽で 8 尺の表の日影長 16 寸、南に千里では1寸短い 15 寸(4)であるという.『周髀算経』の一寸千里法で ある.前漢代なかごろ成立の『淮南子』天文訓にその原型 となる一寸千里法が載せられている.10尺の表に20寸の 日影長である.我々は表髙と日影長から三角関数表を用い て太陽仰角を計算できる.地球を「球」と近似し、緯度差 1 度を赤道から 65N まで有効な 3 桁の近似値 111km とす ると、1と2、3と4のそれぞれの緯度差から千里は 61.05 km、76.59 km と計算される.しかしこの単位を使って地 上測量が行われることはない.日影長差 1 寸と測定されれ ば、千里と記述したに過ぎないはずである

緯度に比べ経度は難題である

中国でも経度の概念が生まれた。プトレマイオスと同じ時代に活躍した張衡は、地図上に縦横の線を延ばしてその座標で距離を求める方法を考え出した。これは、地図を絹織物に刺繍する際に、縦糸と横糸が交じり合うさまを見て思いついたといわれている。

また3世紀になると裴秀も同じように縦横の線で位置を示す方法を提案し、その2つの座標にそれぞれ「経」「緯」という文字をあてた

東行の距離は 影の長さでは測れなかったのでしょう

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