粘菌は、最も単純だけど不思議な生命体である。
粘菌は、葉緑体がなく、朽木や落葉、あるいは糞、また高等植物や淡水・海水中の藻類などで生活し、変形菌とも呼ばれたりすることもありますが、世間では単純にカビ呼ばわりされたりしています。
何故、不思議か :ライフサイクル
1. 単細胞生物と多細胞生物の2つの顔をもつ。
(個別の時と集合体の時を生きる)
2. 栄養を取る方法は、「エサ」を食べる。
(細胞が直接、栄養となるものを取り込む)
3. 栄養を取って増えていく時期はアメーバ状である。
(この時期は植物の特徴である細胞壁をもたない)
4. 胞子(ほうし)をつくる。
でも、よく観ると 美しい!!!—>粘菌惑星サイト
人口生命の画像とにた秩序がある。逆に、自然はフラクタル構造を持つ
3重螺旋の謎:苔類の弾糸
弾糸とよばれる胞子の散布器官は、トクサ属(シダ植物)苔類(コケ植物)真正粘菌類(変形菌)3つの分類群で知られている。
何故、原生動物が弾糸を形成できるのか?
1.粘菌変形体:植物か動物か?
中間の生物:動物の状態ときのこの状態の二態
変形体と呼ばれる栄養体が移動しつつ微生物などを摂食するという”動物的”性質を持ちながら、小型の子実体を形成し、胞子により繁殖するという植物的(あるいは菌類的)性質を合わせ持つ、特異な生物である。そのためこれを動物と見るか植物(菌類)と見るかについて、多くの議論があり、古くは動菌、菌虫などの用語が使われたこともある。:wikipedia
2.変形菌の標本データーベース
3.水槽で粘菌さんを飼う(自然発生)方もいる
4.細胞性粘菌の研究:動画など
粘菌は、神経もないのに最短経路問題を解く。
神経が無くても、最短経路を試行錯誤で発見する。
最適化の発見的アルゴリズムの研究のヒントとなっている。
「何故神経のないヒトデが、さかさまに放置しても自分で正しくもとにもどせるか」がわかった。
粘菌のシミュレーション:セルラーオートマトン
「太歳」は粘菌なの???
中国は広東省佛山市、南海区獅子山にて、石のような姿をした謎の物体(2kgもある)が発見され、伝説的に知られる謎の生命体「太歳」ではないかとして、話題を呼んでいる。・・・>紹介サイト
秦の始皇帝は、永遠の生命を得る霊薬を求めた
「史記」によれば、始皇帝はかつて、不老不死の「仙薬」を求め、当代きっての名医であった徐福を東方の蓬莱山に派遣している。蓬莱山は富士山ともいわれ、日本の太平洋沿岸に徐福上陸の伝説が数多くある。そして、この仙薬は「太歳」とも言われている。「太歳」は「肉霊芝(肉万年茸)」とも呼ばれ、地理書である「山海経」や、薬草など効用を記した医学書「本草綱目」にもその存在が記されている。
抱朴子(晋)によると、「芝には石芝、木芝、肉芝、菌芝があり、およそ数百種類ある。「石芝」は石の姿をしていて海隅、石山、島嶼のほとりに生じる。「肉芝」は形状は肉のようで大石に付き、頭尾をそなえていて、すなわち生物である。氷のように光り澄んでいて、大きいのは十余斤、小さいのは三四斤ある。「菌芝」は、深山の中、大木の上、泉水の側に生じ、その形状はあるいは宮室のようで、竜虎のようで、車馬のようで、飛鳥のようで、色は一定していない。おおよそ百二十種ある。「木芝」は、松脂が地にしずんで、千年すると変化して茯苓となり、一万年するとその上に生じる小木であって、その形状は蓮花に似て、夜見ると光る。これを持ってみると、とても潤滑で、焼いても焦げない。これを身につけていると兵を避け、これを服用すると神仙となる。」とのこと。
参考:http://www.ffpri-kys.affrc.go.jp/tatuta/kinoko/kinoko60.htm
日本でも万年茸があるらしい。たいへん高価でした。
白霊茸という高級中華料理の食材は、陸のあわびとも呼ばれている。中国の天山山脈に自生するらしいが、日本でも栽培されている。
天皇も粘菌の研究をされた
世界有数の粘菌研究者 南方熊楠先生は、「ネイチャー」にも研究が掲載された偉大な粘菌研究者である。大英博物館に勤務ののち、たしかキューバに、めづらしい粘菌を求めて山野に分け入った。そのときの足痛められたとのこと。
自然保護の立場、生態システムの理解者の知見から神社合祀に反対した。川村和歌山県知事宛の手紙のなかでは有名なエコロジー(生態学)という言葉が使われている。
「千百年来斧斤を入れざりし神林は、諸草木相互の関係甚だ密接錯綜いたし、近頃はエコロギーと申し、この相互の関係を研究する特種専門の学問さえ出で来たりおることに御座候」
熊楠とエコロジー
1929年、陛下は神島に行幸。熊楠に会い粘菌を求められたたとのこと。その後、天皇は「雨にけぶる神島を見て、紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」という歌を詠んだ。
熊楠と粘菌
南方熊楠による変形菌キケホコリ観察図
熊楠のシステム思考:「事」の学
小生の事の学というのは、心界と物界とが相接して、日常あらわる事という事も、右夢のごとく非常に古いことなど起こり来たりて、昨今の事と接して混雑はあるが、大鋼領だけは分かり得べきものと思うなり。電気が光を放ち、光が熱を与うるごときは、物ばかりのはたらきなり(物理学的)。今、心がその欲望をもて手をつかい物を動かし、火を焚いて体を煖むるごときより、石を築いて長城となし、木をけずりて大堂を建つるごときは、心界が物界と雑(まじわ)りて初めて生ずるはたらきなり。電気、光等の心なきものがするはたらきとは異なり、この心界が物界とまじわりて生ずる事(すなわち、手をもって紙をとり鼻をかむより、教えを立て人を利するに至るまで)という事にはそれぞれ因果あることと知らる。そのことの条理を知りたきことなり。(明治二十六年二月二十四日)
因果とは?縁起とは?
因はそれなくしては果が起こらず。また因果なればそれにともなって果も異なるもの、縁は一因果の継続中に他因果の継続中に他因果の継続が竄入(さんにゅう)し来たるもの、それが多少の影響を加うるときは起、(中略)故にわれわれは諸他の因果をこの身に継続しおる。縁に至りては一瞬に無数にあう。それが心のとめよう、体にふれようで事をおこし(起)、それより今まで続けて来たれる因果の行動が、軌道をはずれゆき、またはずれた物が、軌道に復しゆくなり。(明治三十六年八月八日)
熊楠の曼荼羅:南方マンダラ
ここに一言す。不思議ということあり。事不思議あり。物不思議あり。心不思議あり。理不思議あり。大日如来の大不思議あり。予は、今日の科学は物不思議をばあらかた片づけ、その順序だけざっと立てならべ得たることと思う。(人は理由とか原理とかいう。しかし実際は原理にあらず。不思議を解剖して現象《げんしょう》団とせしまでなり。このこと、前書にいえり、故に省く。)心不思議は、心理学というものあれど、これは脳とか諸感覚とかを離れずに研究中ゆえ、物不思議をはなれず。したがって、心ばかりの不思議の学というもの今はなし、またはいまだなし。 次に事不思議は、数字のひと一事、精緻を究めたり、また今も進行しおれり。論理術なる学(論というと、人が二人以上より、または自問自答する人為すなわち人を所立地として見る意が大部を占む。故に事理というか性理(数理に対して)といいたきことなり。このこと、前年、パリへ申し上げたりし)は、ド・モールガンおよびプールニ氏などは、数理同前に微細に説き始めしが、かなしいかな、人間というものは、目前の功を急にするものにて(代数学の発明はありながら、数千年、世に出でず。指南車を知りながら、羅針盤は晩く出でしごとく)、実用の急なきことゆえ、数理ほどに明ならず、また、修むる者少なし。
変形菌の世界・サイエンス
ArtificialLife
不思議な生命体:粘菌
3 thoughts on “不思議な生命体:粘菌”
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おもしろいよねー粘菌。
動物から植物のように変わるのは、まったく不思議。
もしかすると、逆の植物から動物へ変わる生物もいるのかな?
日射量が減ると食物をとろうとする、とかね。
粘菌の遺伝子を解明できれば、そういう生物を作れたりして。
こちらに 映画と研究成果がありました。京都大学。
すごくおもしろかった。天皇も研究したんだ![